そうだよ(パラダイム・シフト)
2012年1月21日 MTG-スタン コメント (18)マジックというゲームをやりながら撫子と一緒に遊ぶにはトークンデッキしか無いじゃん。(結論)
そもそもEDHでゲイヴを楽しんで使えてたのは大量の撫子トークンを並べる事に快感を覚えていたからで、それをスタンでもやればいい。
次の環境でトークン系のデッキが増えると予想して、自分でもその仮想敵となるトークンデッキの一つ、白緑トークンを昨日組みました。
それでちゃんと回るかと試運転をしていたわけですが、これが中々面白い。
何が面白いかって、トークンの種類によってどの撫子トークンを使うか選ぶのが面白い。
そこで、冒頭の結論に至ったわけです。
今までは「稲妻落ちたし、いっちょグリッサ高騰させてやるか!」っていう気概を持ってずっとグリッサにこだわってきて、これからもまだこだわっていくつもりですが、ちょっとトークンデッキの方も頑張ろうかなと。
恐らく読んでる方の中で
「好きなキャラがまとめて無残に漸増爆弾で殺されるのはどんな気持ち?wwwねぇどんな気持ち?www」
などということを考え、コメント欄で書いて煽ってやろうwwwとか言っちゃう可哀想な人がいらっしゃるかもしれません。ちなみに実戦でそれをされたらクローサの掌握を漸増爆弾にキャストしてしまいます。刹那持ちなので割りこませません。
正直な話、実際俺もその抵抗はあって、EDHでは二桁数並んだトークンが全滅した時点で投了の二文字が頭をよぎった事なんていくらでもありました。
そこでこの問題についてここ最近考えてました。
ただ、よくよく考えてみるとこの疑問っておかしいんじゃないかと思い始めてきました。
例えば漸増爆弾のテキストを見てみると
と書いてあります。
「破壊する」と書いてありますが、実際にゲーム中で行う行為としてはそのオブジェクトを「戦場」という仮想的なエリアから「墓地」という仮想的なエリアへと「移動」しているだけです。
トークンに至っては墓地にも留まらず、デッキケースの中や上へ移動するだけですね。
「破壊」されたオブジェクトは別にその存在そのものを「破壊」する必要はなく、ただそれが存在している場所を「移動」すればいいだけなのに、ただ単に「破壊する」という言葉の荒々しさから、「そのオブジェクトの存在そのものが破壊される」→「無残に殺された」などと思考をつなげてしまうのはおかしいのではないでしょうか。
極論を言えば自分だけ墓地を「控え室」とか「ジャンクヤード」って呼んでも良いんじゃないかと。別にそれでゲームのルール上不都合が起こることは無いでしょう。ちゃんと「墓地」と一般的にゲーム中で呼ばれている仮想的なエリアにさえ置いておけばいいわけです。
「破壊」に関しても、その際に解決されるルールをちゃんとこなしていれば「控え室に置く」などと呼んでも良いんじゃないかと。
あまり関係の無い話で根拠も無いのですが、上記のような煽りをする人は「見るアニメが変わるたびに嫁が変わる」人じゃないかと推察します。
この件に関してはあまり本質にかかわる事ではないし、そういう人種の方についてはあんまり深く考えたくないので軽く触れる程度で済ませますが、俺にはこの二つの思考回路は同じものだと思います。
それはともかくとして、俺はこの問題に関して一応の結論に至りました。
撫子はあわててデッキケースへ帰っちゃっただけ。
デッキケースに帰っちゃっただけならまた呼べば遊べるわけです。
この考え方の変化、すなわち「パラダイム・シフト」が俺には足りなかったのですが、ここ数日間の考察とそのまとめであるこの記事をもって少なくとも俺自身の考え方の変化をここに記します。
そもそもEDHでゲイヴを楽しんで使えてたのは大量の撫子トークンを並べる事に快感を覚えていたからで、それをスタンでもやればいい。
次の環境でトークン系のデッキが増えると予想して、自分でもその仮想敵となるトークンデッキの一つ、白緑トークンを昨日組みました。
それでちゃんと回るかと試運転をしていたわけですが、これが中々面白い。
何が面白いかって、トークンの種類によってどの撫子トークンを使うか選ぶのが面白い。
そこで、冒頭の結論に至ったわけです。
今までは「稲妻落ちたし、いっちょグリッサ高騰させてやるか!」っていう気概を持ってずっとグリッサにこだわってきて、これからもまだこだわっていくつもりですが、ちょっとトークンデッキの方も頑張ろうかなと。
恐らく読んでる方の中で
「好きなキャラがまとめて無残に漸増爆弾で殺されるのはどんな気持ち?wwwねぇどんな気持ち?www」
などということを考え、コメント欄で書いて煽ってやろうwwwとか言っちゃう可哀想な人がいらっしゃるかもしれません。
正直な話、実際俺もその抵抗はあって、EDHでは二桁数並んだトークンが全滅した時点で投了の二文字が頭をよぎった事なんていくらでもありました。
そこでこの問題についてここ最近考えてました。
ただ、よくよく考えてみるとこの疑問っておかしいんじゃないかと思い始めてきました。
例えば漸増爆弾のテキストを見てみると
(中略)(T),漸増爆弾を生け贄に捧げる:点数で見たマナ・コストが漸増爆弾の上に置かれていた蓄積カウンターに等しい、土地でない各パーマネントを破壊する。
と書いてあります。
「破壊する」と書いてありますが、実際にゲーム中で行う行為としてはそのオブジェクトを「戦場」という仮想的なエリアから「墓地」という仮想的なエリアへと「移動」しているだけです。
トークンに至っては墓地にも留まらず、デッキケースの中や上へ移動するだけですね。
「破壊」されたオブジェクトは別にその存在そのものを「破壊」する必要はなく、ただそれが存在している場所を「移動」すればいいだけなのに、ただ単に「破壊する」という言葉の荒々しさから、「そのオブジェクトの存在そのものが破壊される」→「無残に殺された」などと思考をつなげてしまうのはおかしいのではないでしょうか。
極論を言えば自分だけ墓地を「控え室」とか「ジャンクヤード」って呼んでも良いんじゃないかと。別にそれでゲームのルール上不都合が起こることは無いでしょう。ちゃんと「墓地」と一般的にゲーム中で呼ばれている仮想的なエリアにさえ置いておけばいいわけです。
「破壊」に関しても、その際に解決されるルールをちゃんとこなしていれば「控え室に置く」などと呼んでも良いんじゃないかと。
あまり関係の無い話で根拠も無いのですが、上記のような煽りをする人は「見るアニメが変わるたびに嫁が変わる」人じゃないかと推察します。
この件に関してはあまり本質にかかわる事ではないし、そういう人種の方についてはあんまり深く考えたくないので軽く触れる程度で済ませますが、俺にはこの二つの思考回路は同じものだと思います。
それはともかくとして、俺はこの問題に関して一応の結論に至りました。
撫子はあわててデッキケースへ帰っちゃっただけ。
デッキケースに帰っちゃっただけならまた呼べば遊べるわけです。
この考え方の変化、すなわち「パラダイム・シフト」が俺には足りなかったのですが、ここ数日間の考察とそのまとめであるこの記事をもって少なくとも俺自身の考え方の変化をここに記します。
コメント
せっかくGPでグリッサが優勝したのに諦めるのですか!!!
キャラものトークン
どんどん
使おう
>うんぽぴんさん
あれグリッサのスペースに埋没した廃墟突っ込んでもほとんど変わらない動きするじゃないですかw
接死+先制+トランプル が合わさると最強生物が生まれるのだよwww
ヴァイスはトークン製造カードゲーム
>うんぽぴんさん
それ考えたんですけど、普通のグリッサと比べて「まともな戦闘が出来たら数点貫通する」だけなんで、結局グリッサの長所をちょっとだけ伸ばしただけなんですよ。
それだったらまだガヴォニーでカウンター乗せて不意の赤タイタンから守った方が断然強いと思います・・・
途中で怪しい気がしたから、やっぱりなとww
最近ワンパターンですよね、と言っても2回目ですが。
スポイラー出ないとネタ無いんや・・・
通報領域?(難聴)
>金輪際
投了で
ホモ特有の思考回路
全世界にカバレッジが発信される大会で撫子トークンを使いたい(願望)
あれもまた、撫子の魅力のひとつということですよ