今年のマジックの記憶
2011年12月19日 MTG-スタン コメント (4)※酔っているので文章がまともでない可能性が多分にあるので注意してください。
・年初め~MBSまで
ずっと俺は池袋アメで育ってきてました(ガチで小学6年ぐらいからw)。
実際池袋アメが移転する前からA藤さんたちのグループとか、もやしくん(1袋1円でない方)とかと当たってました。
池袋アメが移転してから木吉カズヤさんに出会いました。
ZEN入って、MBSが入る前に出会いました。
詳しくは木吉カズヤさんのDNを見てもらえば分かると思いますが、俺が緑単のエルフもどきのビート(買ったばかりの復讐蔦を使いだけ)VS木吉カズヤさんの青黒コンで、1本目からダブマリだかトリマリだかしました。
そこで、森2枚、ラノワールのエルフ、皮背のベイロスっていう必要最小限のキープをして、そのまま破滅の刃を引かれないまま5回ベイロスでどついたっていうクソゲーを繰り広げましたねwww
どんな試合よりもそれは記憶に残っていますww
・MBS後
緑白の、蔦シャーマンのデッキを使ってCaw-bladeを食いまくっていた記憶しかない。
ヴァラクートに当たったら1T目ヴァラクートタップインで「サーセンwww投了しますwww」しか言ってないww
確かこの辺りではMBS参入直後に、青黒感染を使ってた木吉カズヤさんと当たって、φクルとスキジリクスを青黒コンに入れるべきか否かについて結構真面目に議論してた記憶があります。
試合後に真面目に木吉さんとデッキ議論したのはこの時が最後だったと思いますww
ちなみにROE発売後からは基本的に復讐蔦が入ったデッキしか使いませんでした。
・NPH後
一気にCaw-Bladeが躍進しましたね。
殴打頭蓋とかいうクソ装備品が出た後でもそれを乗り越えられるミラディンの十字軍と復讐蔦を4枚ずつ搭載しつつ、それらをサーチできる獣相のシャーマンを使っていた自分としてはCaw-bladeなんてお客様みたいな存在で、逆に天敵だったヴァラクートを駆逐してくれたおかげですっごい頑張れました。
強豪プレイヤーの集まる晴れる屋火曜スタンで3-0を連発出来たのはこの辺りでした。
この時は誰も知らなかったカード《コーの鉤の達人》と、NPHのネタカードとしては知られていた《大修道士、エリシュ・ノーン》をよく獣相のシャーマンでサーチして無理やりGGに持ち込んでいました。
何度も紹介するのは「当時の俺すげーだろww」みたいなアピールで申し訳ないのですが、「鉤の達人ちゃんマジ達人」でggってもらえれば当時の俺のレシピが出てくるみたいです。
この時までは大きい大会と言えばPWCという考えだったんですが、この時期に初めて日本選手権予選というすっごい大きな大会に出て、最初は「土曜日だし、どうせ数回戦でドロップして池袋アメのアメ杯に行くやろww」と思っていた所、260人中35位(32位までが本戦権利獲得)という、俺の人生の中では断トツ1位の成績を叩きだしました。
正直言って、この時までは俺はどうせカジュアルプレイヤーとしてしか通用しないな、と思っていた節はありました。
ですがこの大会を境に、別に他のプレイヤーをディスっているわけではないんですが、俺みたいなプレイヤーでも頑張ればそこそこの所までは行けるんだな、と思うようになりました。
・ジェイス事変(ジェイスと石鍛冶が禁止になった時)後
ジェイスと石鍛冶が禁止になり、今までのCaw-bladeが環境からいなくなってからが俺の転落人生の始まりでした。
レーティングでいえば最高で1850近くまで行っていたんですが、その時の勝率はほとんどがCaw-blade戦で培ったものでした。
逆に言えば、禁止改訂のせいで食いものであったCaw-bladeがいなくなり、先述の天敵であるヴァラクートが繰り上がりでトップメタとなったので、俺の勝率はドンドン落ちて行ったのです!!
その後戦績的には大分低迷しました。
一時期余りにもヴァラクートが流行って、青黒コンを使ってた時期もありましたね。
この頃にBMに凸していましたね。
・ZEN落ち後(ISD参入後)
自分でもよくわからないのですが、ZENとM11が落ちる直前ぐらいから《裏切りものグリッサ》に取りつかれていました(今も取りつかれています)。
なので、現在に至るわけですがZEN落ち後(というか復讐蔦落ち後)はずーーっとグリッサたんと一生を共にしています。
黒緑は当然として、御供として白を採用してみたり、今は青を御供としてみたりして試行錯誤しているところで、2011年という激動の年を振り返るのを終わりとしたいと思います。
・年初め~MBSまで
ずっと俺は池袋アメで育ってきてました(ガチで小学6年ぐらいからw)。
実際池袋アメが移転する前からA藤さんたちのグループとか、もやしくん(1袋1円でない方)とかと当たってました。
池袋アメが移転してから木吉カズヤさんに出会いました。
ZEN入って、MBSが入る前に出会いました。
詳しくは木吉カズヤさんのDNを見てもらえば分かると思いますが、俺が緑単のエルフもどきのビート(買ったばかりの復讐蔦を使いだけ)VS木吉カズヤさんの青黒コンで、1本目からダブマリだかトリマリだかしました。
そこで、森2枚、ラノワールのエルフ、皮背のベイロスっていう必要最小限のキープをして、そのまま破滅の刃を引かれないまま5回ベイロスでどついたっていうクソゲーを繰り広げましたねwww
どんな試合よりもそれは記憶に残っていますww
・MBS後
緑白の、蔦シャーマンのデッキを使ってCaw-bladeを食いまくっていた記憶しかない。
ヴァラクートに当たったら1T目ヴァラクートタップインで「サーセンwww投了しますwww」しか言ってないww
確かこの辺りではMBS参入直後に、青黒感染を使ってた木吉カズヤさんと当たって、φクルとスキジリクスを青黒コンに入れるべきか否かについて結構真面目に議論してた記憶があります。
試合後に真面目に木吉さんとデッキ議論したのはこの時が最後だったと思いますww
ちなみにROE発売後からは基本的に復讐蔦が入ったデッキしか使いませんでした。
・NPH後
一気にCaw-Bladeが躍進しましたね。
殴打頭蓋とかいうクソ装備品が出た後でもそれを乗り越えられるミラディンの十字軍と復讐蔦を4枚ずつ搭載しつつ、それらをサーチできる獣相のシャーマンを使っていた自分としてはCaw-bladeなんてお客様みたいな存在で、逆に天敵だったヴァラクートを駆逐してくれたおかげですっごい頑張れました。
強豪プレイヤーの集まる晴れる屋火曜スタンで3-0を連発出来たのはこの辺りでした。
この時は誰も知らなかったカード《コーの鉤の達人》と、NPHのネタカードとしては知られていた《大修道士、エリシュ・ノーン》をよく獣相のシャーマンでサーチして無理やりGGに持ち込んでいました。
何度も紹介するのは「当時の俺すげーだろww」みたいなアピールで申し訳ないのですが、「鉤の達人ちゃんマジ達人」でggってもらえれば当時の俺のレシピが出てくるみたいです。
この時までは大きい大会と言えばPWCという考えだったんですが、この時期に初めて日本選手権予選というすっごい大きな大会に出て、最初は「土曜日だし、どうせ数回戦でドロップして池袋アメのアメ杯に行くやろww」と思っていた所、260人中35位(32位までが本戦権利獲得)という、俺の人生の中では断トツ1位の成績を叩きだしました。
正直言って、この時までは俺はどうせカジュアルプレイヤーとしてしか通用しないな、と思っていた節はありました。
ですがこの大会を境に、別に他のプレイヤーをディスっているわけではないんですが、俺みたいなプレイヤーでも頑張ればそこそこの所までは行けるんだな、と思うようになりました。
・ジェイス事変(ジェイスと石鍛冶が禁止になった時)後
ジェイスと石鍛冶が禁止になり、今までのCaw-bladeが環境からいなくなってからが俺の転落人生の始まりでした。
レーティングでいえば最高で1850近くまで行っていたんですが、その時の勝率はほとんどがCaw-blade戦で培ったものでした。
逆に言えば、禁止改訂のせいで食いものであったCaw-bladeがいなくなり、先述の天敵であるヴァラクートが繰り上がりでトップメタとなったので、俺の勝率はドンドン落ちて行ったのです!!
その後戦績的には大分低迷しました。
一時期余りにもヴァラクートが流行って、青黒コンを使ってた時期もありましたね。
この頃にBMに凸していましたね。
・ZEN落ち後(ISD参入後)
自分でもよくわからないのですが、ZENとM11が落ちる直前ぐらいから《裏切りものグリッサ》に取りつかれていました(今も取りつかれています)。
なので、現在に至るわけですがZEN落ち後(というか復讐蔦落ち後)はずーーっとグリッサたんと一生を共にしています。
黒緑は当然として、御供として白を採用してみたり、今は青を御供としてみたりして試行錯誤しているところで、2011年という激動の年を振り返るのを終わりとしたいと思います。
コメント
今後ともよろしくおねがいします!
よろしくお願いします。
来年は今よりは時間が出来るはずなので、どんどん調整会やりましょう!
>ごらくさん
あれって実は去年とかの話なんですよねw
今のBM勢の人と初めて接触したのはあの時のごらくさんが最初だったのか・・・
>kakeruさん
俺も卑怯なぐらい黒頂点引くなーと思いながらやってましたw
来年もまたよろしくお願いします!